遅刻寸前。
 迷惑気に睨み付ける視線など気にかける余裕もなく、廊下を全力で走り抜ける。
 このスピードが学生時代に出ていたら、一躍ヒロイン間違いなかったはずだ。
 まだ、気の抜けるオルゴール調の始業チャイムは鳴ってないけど、油断はできない。
 うちのタイムレコーダー ―― 一階の入口ではなく各部署の部屋に置いてある――は、どこぞの眼鏡のせいですぐに時間が狂うのだから。

 目的の扉の前で、一度大きく息をして――その程度で呼吸が整うはずもない――ノブを回す。
 自動ドアにしてくれないかしらと呟き、一歩足を踏み入れた。
 瞬間、

「――?」

 目の前に、緑の何かが、

「ぎゃーッ」

 降ってきた。




 そういや今日って七夕だっけね……。






≪Janus≫特機特課〇班の、日常的生活。
(たなばた篇) 






 思えば、いつからやりだしたのか。
 配属当時には、「たなばた」の「た」の字もなかったはずだ。
 毎日毎日仕事に追われて、誰もそんな余裕は無かったのだから。

 次の年に玄クンが入って、なんだか妙に仕事が楽になったような覚えがある。
 本人のやる気のなさからは想像はつかなかったが、こなす仕事量は半端ではなかったらしい。

 とは言え、配属当初から遅刻はするわ、居眠りはするわ、報告書の類は言われても出さないわ、よくもまぁ、口先ばかりのお偉方がキレなかったものだと思う。
 Sランク能力者だからリストラできなかっただけ、とも言えるのだろう。


 笹の葉の直撃を顔面に受けて飛んだ思考を、鳴り出したチャイムに大慌てで引き戻し、タイムカードを押す。
 カードに押された時間は、06:52。
 本来の時刻より一時間近くも遅い。
 あの猛ダッシュは何だったのと、形容しがたい気分になるのは仕方がない。


 適当に挨拶しつつ自席に向かい、引き出しに放り込んである鏡を出し、化粧くずれを確かめる。
 これくらいなら問題なかろう。
 パタンと閉じて、引き出しに戻す。


 隣りに座る紫は、何やら熱心に、細長く折り畳んだ折り紙に左右交互に鋏を入れている。
 その向こうでは、玄クンが、同じ様に。


 紫を人身御供に差し出した玄クンの誕生日から一週間以上が経つが、あれからずっと機嫌が良くて、正直気味が悪い。
 安居班長が、予想以上に続く彼の上機嫌が降下する日がいつか必ず来る事に、戦々恐々としているのを、班員の誰もが知っている。


 できた、と小さく声がして、鋏の刃先と机がぶつかる硬い音が続く。
 手にした折り紙を、千切らないように静かに開くと、びろんと伸びた網目のような物体が出来上がる。

「どうしてコレが『天の川』なんでしょうね?」

「同感」

 どう見ても川には見えない。
 私が作ると、切る感覚が広すぎるのか折る回数が多いのか、とんでもなく不恰好になるから尚更。

「短冊どーぞ」

 完成品の天の川を伸ばして遊んでいたら、どこからか輪ゴムで束ねられた短冊が回ってきた。
 去年は折り紙だったけど、今年は画用紙になっている。
 中央上部に開けられたパンチ穴に通されたビニール紐が、風情を損なわせている気がしなくもない。
 束のほとんどには、既に何事かが書かれていた。

 一緒に回ってきた油性ペンは使わずに、机上のペン立てから筆ペンを取る。
 あれば使うかな、程度の気持ちで持ってきた、この筆ペン。
 当然、日常において使い道など全く無い。
 もう、この七夕の短冊のためだけに準備してあると言っても過言ではない。


 パラパラと、他の人が書いたのを見てみた。
 『休みくれ』と書かれた一枚に激しく共感を覚え、その数枚後に見えた『紫とデート』は見なかった事にして、次の『健康第一。無病息災』に、年頃の女が色気の欠片もない! と呆れる。

 さて、書くか、と筆ペンのキャップをはずした。
 書くことは毎年決まっているので、迷う必要も無い。
 書道三段の腕前――小学生の頃の話――で、薄黄色の画用紙に文字を連ねる。

『今年こそ、一等・前後賞 三億円         眞鍋 榮』

 よし、達筆。
 軽く振って墨を乾かし、短冊を束に戻した。

 就職してよりこっち夏・冬と毎年欠かさず買い続け、一度も、300円すらも当たった事のないこのクジ運!
 何かに願って何が悪い!

 どうか。
 今年こそ当たりますように!






 また同じ願い事かと、呆れた声で玄クンが言った。
 私は、他の誰に呆れた声で言われようと、あんたにだけは言われたくない。






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