起きて、一番初めにすること。
周りを見回して。 今日も生きているんだと。 確認、する。 峰月 玄(ミネヅキ シズカ)、23歳。 ≪Janus≫特機特課〇班、所属7年目、副班長。 この日は何故か、出勤は13時などという、何とも中途半端な時間だった。 10時を過ぎてから起き、だらだらと仕度をして、7歳違いの弟と二人暮しをしているマンションを出たのが、12時30分を過ぎた頃。 出動時以外は禁止されている建築物上の通行を、仕方無しに(本人談。おそらく偽り有り)やり、出勤。 時間ギリギリになって、特機特課〇班に充てられた部屋に到着。 あまり機嫌が良くないのか、無言で入り、入って直ぐの所にあるタイムカードを――ちなみに時間は12時58分だった――無言で押していると、 「おはようございまーす。」 後方から挨拶が飛んできた。 妙に能天気に響く声の持ち主は、先日新しく配属されたばかりの、森 弘貴(モリ ヒロタカ)だ。 扉に一番近い、タイムカードやらシフト表やらホワイトボードやらが置いてある場所の、目の前の机に陣取っている。 「やあ。」 玄は、真面目に返事をする気にもならず、適当に返した。 弘貴は大して気にならない様子で、すぐに机に向き直って仕事を再開する。 午前中に出動があったらしく、その報告書のようだった。 両壁際・中2列にそれぞれ6ずつで24、プラス中央奥に班長用、で25コ。 これが、この部屋にある机の数で、現在全てを使用している。 扉側から見て班長の右手前になる自分の席へ行く途中、かかる声に、一瞥と手を上げるだけで応える。 「あれ。」 ぴた、と。 玄は自分の机の一つ手前で止まった。 「紫は?」 主の居ない机を示して、誰にともなく尋ねる。 そこには、つい最近まで一番の新参者――と言っても、キャリアは3年――だった、彼の一番のお気に入り、尾幡 紫(オノハタ ユカリ)が座っていなければならない筈だ。 現に、シフト表に因ると、彼女は今日、朝から居る事になっている。 「紫なら仮眠室。あの娘、昨日、また帰宅間際に出動入って、今朝8時過ぎまで出っ放しだったらしいのよ。」 私が来た時、3日も家に帰ってないって言って、半死人だったわよ。と。 現在、班長含め25人を数えるこの特機特課〇班の、2名しか居ない女性班員のもう1人、眞鍋 榮(マナベ サカエ)が、端の欠けたマニキュアを、リムーバーで落としながら答えた。 「ふーん。」 「寝込み、襲いに行っちゃダメよ。」 「……。」 「どうして、そこで黙るわけ?」 「教えてほしい?」 「遠慮しとくわ。」 ふっ、と爪に息を吹きかけて、榮はやれやれと首を振った。 ≪Janus≫特機特課〇班の、日常的生活。 (シズカさん退屈篇) 机に向かって、ためにためた報告書――その数17枚――を片付け始めて、約2時間。 (飽きた。) 紫のペン立てから失敬した、≪Janus≫のシンボルマークが入った支給品のボールペンを、指で器用に回しながら、玄は頬杖を突いて欠伸を噛み殺した。 (紫も起きて来ないなー。) 元々、飽きっぽい性格の、その上、細かい作業や単調な仕事が大嫌いな玄が、机の前で大人しく、2時間も書類と格闘していた方が珍しい。 弘貴が提出した報告書に目を通していた安居 明良(ヤスイ アキラ)班長が、目線を上げてそれを見て、密かに溜め息を吐いた。 峰月 玄という人間の扱いは、『異怪』を相手にするよりも面倒でややこしい。 臍を曲げると、1週間近くの無断欠勤など、何食わぬ顔でやってのける。 そういう性格をしている。 そして実際に、それをやった事があるのだ。この男は。 明良の前任の班長が、彼の逆鱗に触れた事があった。 キレた玄の、一瞬の力の暴走で部屋は全壊。 彼には、その日から1週間の謹慎が申し付けられた。 が。 何故か謹慎が解けた後も、玄は出勤しては来なかった。 通常の仕事にプラスして、穴埋めもする羽目になっていた班員達の疲労は蓄積し、対応は遅れ、ミスが目立ち始めた、謹慎明けから調度8日目。 彼は、何事もなかったような顔で、出勤して来た。 そして一言。 「これに懲りたら、あまり僕を怒らせないでもらえるかな。」 その時、その場に居た者は、天上天下唯我独尊という文字が、峰月 玄の背後に見えたと、後々に語ったとかどうとか。 そんな、今となっても"懐かしい"で括ってしまうには疑問を覚えずにはいられない数々の出来事を、つらつらと思い出し。 明良は物思いに耽った。 しかし、ずっとそうしている訳にもいかない。 (仕方ない。) 「峰月。」 「はい?」 手にした書類から完全に目を上げて、玄を呼ぶ。 「何でしょうか。」 呼ばれた玄はペン回しを続けたまま席を立ち、明良の机の前に立った。 (敬語を使われている分、前任の班長よりはマシなんだろうか。) と、頭の隅で考えながら、右手の指の間を回るペンを見やる。 それに気付いたのか、玄はペン回しを止めて、自分の机の上にボールペンを放り投げた。 微かに音がして、跳ねて、書きかけの報告書に、黒い線が引かれた。 あ゛。と、声を上げる。 続いて小さく舌打ちが聞こえて、書き直しか、と言うのが、明良の耳に入った。 「峰月、それはもうそのままで良いから、それよりそろそろ尾幡を起こしてきてくれないか。」 「紫を?」 「あぁ。でないと、今日は一日中寝ていただけで終わるからな。」 「良いですよ。行って来ます。」 そう言って、玄は唇の端を片方だけ上げて――所謂、デビル・スマイルというヤツだ――微笑った。 大抵、彼の笑い方はこれなのだが、付き合いの一番長い明良にはわかる。 その時の、玄の笑い方は。 獲物を捕らえる直前の、肉食動物に似た。 感情。 (すまん。尾幡。) 明良は、心の中で紫に向かって土下座した。 仮眠室は、同じフロアの一番奥にある。 一応、特別機動隊全体の、という事になっているが、もう一つ別のフロアにも特別機動隊用の仮眠室がある為か、実質、特機特課専用――しかも、〇班以外の特殊課は、 5,6区域毎に派出所のようなものを設置し、そちらに待機している。地方本部や都道府県本部、その他各支部にいる特機特課はほぼ〇班だけなので、結局は〇班専用――の仮眠室になっている。 ノックをせずに、扉を開ける。 仮眠室と書かれたプレートの下に、"中で騒いだヤツ、後で覚えてやがれ"という張り紙がしてある。 先週までは、"周りの迷惑考えよう。安眠妨害、入院決定。"だった。 誰が書いているのかは知らないが、この部屋を使うのは殆んどが特機特課〇班の人間なので、同じ班員の誰かだろう。 一つ一つカーテンで仕切られた、保健室にある様な足の長いパイプベッドが、高校の教室くらいの広さの部屋に、廊下側と窓側の2列で並べられている。 紫はいつも、窓側の一番奥を使う。 今日は、その紫の特等席以外、カーテンが引かれているベッドはない。 足音を立てないように気を付けながら、玄は近づいて行った。 目的の場所に辿り着くと、ゆっくりと一度深呼吸をして、カーテンに手をかけた。 気配は仮眠室に入る前から消している。 でなければ、ここまで近付いて、紫が気付かない筈がない。 カーテンとカーテンの隙間から入り込む。 右側を下にして、少し体を丸めて眠る紫の、頭の両横に手を突いて、 「紫、おはよう。」 耳元で囁く。 「ふぇ……?」 ぼんやりと、いかにも寝起きです、という、半開きの目と、間抜けな声。 ひどく遅い瞬きを数度繰り返し、目の前に突かれた玄の腕にも気付かず、また目を閉じる。 「紫。起きないと襲うよ。」 もう一度、声をかける。 紫は、また何か唸って、今度はごろりと寝返りをうった。 その途中で、ごつんと、紫の頭が玄の右腕の手首辺りにぶつかって、動きが止まる。 「……。」 訝しげに、紫の眉が寄せられて、うっすらと瞼が開く。 「やあ。おはよう、紫。目は覚めたかな?」 瞬間。 ばちっと目を開いて、天井方向を向き、玄と目が合った紫が。 茹蛸の如き赤面で、奇声を発した。 Back |
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